緩和ケア・ホスピスでの最後の仕事

エンゼルケアとは、人間の最期のときの尊厳をまもることと聞きます。残った家族にとっても、辛いときにその気持ちをそっと救ってくれるものでもあります。ペットボトル一杯で、ベットの上のままシャンプーをしてもらえて、家族までもさっぱりしたとききます。最期ということは、総仕上げともいえることなので、すべて良し、とは言いえていることだと痛感します。その気持ちは、生前を思い出す度に心地よく思い出されるものでもあり、重要度は想像以上に重く大きいものです。心づかいのうれしさも大きく、この医療を考えてくれた人たちにも手を合わせたい気もします。諸々のことなどにも感謝の気持ちが深くなることもあります。

悲しみと同時に、あの思いもよらなかったうれしさも、いつも続いてやってくるのです。そして、この経験は、自分に残っている時間の過ごし方をも改めて考える大きなおおきな機会にもなります。死生観が養われる瞬間というよりも、入り口でもあるようで、向き合い方の輪郭がはっきりしてきて、何か大きな貴重なものを、旅立った人が残して行ってくれたものでもあるようです。失ったものの大きさと引き換えに受け取ったものの大きさ大切さも感じます。看護としての仕事の延長にあるエンゼルケアは、逝く人の尊厳と、残された家族の気持ちも尊重して送ることの、関わり方も大きなひとこまであり、大きな糧のひとつでもあるようです。

それに、エンゼルケアという言葉が救ってくれるものも大きいです。その折にきいたことは、痩せてしまった顔形を綿を詰めて整えてくれたのですが、それは、もう一つの理由に、悪魔祓いの意味もあるとのことで、なお一層、安心して旅立ったのだと思えてうれしいことでした。最期の立ち合いは、貴重で、心に深くのこるものでもあるので、いろいろな思い出話を聞きます。

息子が最後の父のネクタイを結んであげて「初めてで最後だね」と漏らしたということや、綿を詰めて成型したおばあちゃんに「若いときの顔だ」とつぶやいた息子がいたことなど。高齢化が進むことは避けて通ることができない道でもあるのですが、そのような中で、ホスピスや緩和ケア、終末期のケアの存在を知ることで、今、生きていることのあり方や過ごし方、高齢者への接し方、年齢を加えることへの心構いなどまで、熟慮の必要性を思います。